小布施の高井鴻山記念館です。
三十数年前に来たときは、時間帯が異なりますが、もっと多くの見学者がいたように思います。
周りに沢山のお店などが建ち並び、見学者が分散されたのかもしれません。
高井家の破産、火事などがなければ、豪壮な建物、北斎などの多くの作品が残されていたのかもしれません。
東口からも出入りできます。
昭和61年に高橋克彦氏により著された「北斎殺人事件」があります。
帰った後で、改めて読み直しました。
以前この記念館に来たときは、忍者屋敷のようなカラクリを見ることが出来ました。
焼ける前の建物には、もっと凝った細工があったのかもしれません。
北斎は川村姓ですが、この本によれば北斎の生家である中島家は、幕府の御庭番の筆頭だった可能性があるようです。
養子の崎十郎はなんと!
これ以上は書きません。興味のある方は読んでください。
日本推理作家協会賞を受けています。
高井鴻山は多くの文人と付き合いがあり、大塩平八郎、梁川星厳、九条尚忠、佐久間象山など、幕府にとって危険人物と見なされている人達がいたのです。
北斎は隠密として高井鴻山に近づき、屋敷の内から探っていたわけです。
このことが事実であれば、多くの北斎作品が小布施の町に残された一番の要因かもしれません。
ここに多くの観光客が訪れているのは、高井鴻山と北斎のお陰です。
ただの絵師では戒名が院号居士はあり得ないのです。
今でも院号居士は特別な位です。
三万円、五万円で院号居士を売る、とんでもない人や会社がある時代ではなかったのです。皆さんもだまされないようにしてください。
さて、この本のプロローグにはだまされました。
北斎作の肉筆地獄絵図が発見され、その図が見事な文章で表現されています。
北斎記念館やこの後に行った岩松院の天井画を見た後には、この作品が原色で目に浮かびます。
ここに大事な伏線がありました。このことに気がつかないなんて!
ああ情けない!